アカシヤが入居する北原ビルは昭和2年(1927年)に建築されたとの事。当時の日本は第一次世界大戦の戦勝国による好景気から一転、未曾有の大災害、関東大震災による復興途中であり、不景気の真っ只中だった。 北原ビルが当時としては最新鋭の工法である鉄筋コンクリート造を選ぶのは、関東大震災後における木造建築の耐火性の弱さからすると最良の選択肢ではあるが、当時の社会情勢からすると資金調達は容易では無かったのではないか。ちなみに秋葉原駅の北側に神田青果市場が開場するのは翌年の昭和3年だった。
竣工から十数年の後、その鉄筋コンクリート造が功を奏した。太平洋戦争における米軍の焼夷弾による空襲である。北原ビルは正面左側に石造りの階段があるのだが、そこに空襲によって焦げた跡が残されていた。現在、外神田と呼ばれる地区は、ほとんが全焼した本土空襲であったが北原ビルは大きな被害を受けることなく、平成の末期までその姿を残していた。
戦後は「北原プレス機械」「日本羅紗連合会」「日本天然色写真工業」「産業資材新聞社」などの会社が利用する一方、昭和46年から喫茶店アカシヤが1階に入居し、ビジネスマンや学生など多くの人に親しまれる憩いの場となっていた。
また、入居していたらーめん店「味楽」「汐屋まる長」も掲載する
|