10年前の秋葉原風景

No.0001 (2021年5月14日Tweet)
光る万世橋の著名地点表示 。東日本大震災の前でアキバの夜も明るかった。(2011年1月8日撮影)

No.0002 (2021年5月15日Tweet)
大きなツクモの看板の奥には、赤い石丸ソフト。今と違う部分も多い。(2011年1月30日撮影)

No.0003 (2021年5月16日Tweet)
中央通りの派手な看板。このなかで今でも残ってるのは数えるほどしかない。(2011年1月30日撮影)

No.0004 (2021年5月17日Tweet)
カラオケアドアーズのビルが建つ前の様子。CLUB SEGA・高架下のLAOX・アイドルマスターTVアニメ化の広告・電波会館のグランヴァニアなど…(2011年4月4日撮影)

No.0005 (2021年5月18日Tweet)
中央のソフマップ音楽CD館は現在ボークス秋葉原ホビー天国2に。ソフマップ本館はビックカメラに。俺コンはトレーダーに変わり、とらのあなB店は閉店しています。(2011年3月30日撮影)

No.0006 (2021年5月19日Tweet)
ヤマギワリビナ本館・石丸電気本店をバックに、空のリヤカーが置かれている。 電気店などから出る段ボールを回収する人の物だが、最近は見かける回数も減ってきた。(2011年3月1日撮影)

No.0007 (2021年5月10日Tweet)
御茶ノ水の聖橋より秋葉原方向。石丸電気はまだ存在している。この頃は、神田川JET GIRLSなるアニメが放送されるとは思いもしなかった。(2011年4月24日撮影)

No.0008 (2021年5月21日Tweet)
深夜営業中のマクドナルド神田末広町店。当時は24時間営業が当たり前のように行われていた。8時で店内の飲食が終了になる時代が来るとは…。(2011年11月17日 ※0時50分撮影)

No.0009 (2021年5月22日Tweet)
2011年は東日本大震災により神田祭(神幸祭)は中止になったが、御神輿などを見る事は出来た。左から神田市場の神輿・平将門の神輿・大己貴命の神輿・少彦名命の神輿(2011年5月15日撮影)

No.0010 (2021年5月23 日Tweet)
ソフマッアミューズメント館の上に掲出された「シュタインズ・ゲート」の広告。 アニメの中で秋葉原にサブカルチャーが入らず、電気店だけの街が現代に続く…という未来が描かれたシーンもあり、忘れられない作品だった。(2011年4月24日撮影)

No.0011 (2021年5月24日Tweet)
高架下のラジオセンター への入口。上の方にあるコンデンサー君は戦後に誕生した秋葉原で最初の部品マーケット「ラジオストア」のキャラクターだが2013年に閉店。右側の無線の文字が目立つ幌も現在は無い。(2011年2月12日撮影)

No.0012 (2021年5月25日Tweet)
中央通りの坂口電熱の看板。こうういう文字が並ぶのも電気街秋葉原らしさだった。このビルは2011年12月1日から解体され、現在は新築ビルとして営業をしている。坂口電熱は創業98年。(2011年2月12日撮影)

No.00013 (2021年5月26日Tweet)
交通博物館が解体され更地に。明治時代に建築された万世橋駅の遺構のみが奥に残された。背後には石丸電気やダイビルなど秋葉原の街があった。(2011年2月12日撮影)

No.0014 (2021年5月27日Tweet)
総武線の高架の横にある「秋葉原電波会館」2013年に外壁などのリニューアル工事があり、写真に写る古いデザインの幌や看板は更新されている。しかし、雨汚れなども何だか懐かしい。(2011年2月6日撮影)

No.0015 (2021年5月28日Tweet)
万世橋から秋葉原方向を早朝に撮影。朝は人が少ない。 左からSEGA GiGO・デジキャラット・石丸電気…。これらが風景から消えるとは当時は想像もできなかった。(2011年2月12日撮影)



No.0016 (2021年5月29日Tweet)
ロケット5号店が解体され、カラオケアドアーズが後に建設される場所。 空き地時代にはケータリングカー等の集まる屋台村が開かれる時もありタピオカドリンク・ケバブ・爆弾焼き等が人気だった。 アニメの広告は貼られてるのはドコモショップ。(2011年1月30日撮影)

No.0017 (2021年5月30日Tweet)
ケンタッキーフライドチキの前からベルサール秋葉原方向。ガラスに反射するのは石丸ソフトのネオンサイン。 ラオックス ザ コンピュータ館の看板も見える。ツクモパソコン本店や浜田電機はまだ健在。 まだこの通りが平和だった時代。(2011年1月30日撮影)

No.0018 (2021年5月31日Tweet)
早朝に撮影した中央通りの交差点。大黒屋の上部は鉄骨の状態で、まだこの頃はアニメやゲームの広告で彩られる少し前の風景があった。(2011年1月30日撮影)

No.0019 (2021年6月1日Tweet)
中央通りを走行する「創聖のアクエリオン」のアドトラック。秋葉原に特化した“アキバで合体”の文字が記憶に残る車輌だった。 (2011年1月30日撮影)

No.0020 (2021年6月2日Tweet)
現在BiTO AKIBAが建つ場所。ラジオ会館の建替えの為、一時的に3号館が造られました。ボークスが入居するのですが写真は建設中の頃。(2011年6月9日撮影)

No.0021 (2021年6月3日Tweet)
秋葉原駅構内にAKB48メンバーの巨大写真がズラリ。当時は、とても目新しい存在の彼女らであったが10年後の今、懐かしさすら感じる…。 (2011年12月5日撮影)

No.0022 (2021年6月4日Tweet)
LAOX ザ コンピュータ館の横には空間があり、空が広かった。入りやすいコインパーキングがあり、多くの車輌が利用していたが、料金に上限が無く空のように青天井だった。 現在はフロントプレイス秋葉原が建っている。 (2011年1月8日撮影)

No.0023 (2021年6月5日Tweet)
人が少なく深夜タクシーなどが走る深夜の秋葉原。ソフマップの青が印象的だった。10年後の現在と同じ風景もあれば、変わった部分もある。 (2011年5月19日撮影)

No.0024 (2021年6月6日Tweet)
秋葉原電波会館のミツワデンキ。看板は電話番号の市外局番先頭に「3」が付かない平成3年以前のものだった。最近は白熱電球や蛍光灯も急速にLEDに替わりつつある。 また放置自転車も非常に減りました。 (2011年3月6日撮影)

No.0025 (2021年6月7日Tweet)
近年は“モモーイ時計”と呼ばれているアトレ前の様子。当初はアニメなどとのコラボは行われてなかったので、店内の様子が外からよく見てとれた。 (2011年1月8日撮影)

No.0026 (2021年6月8日Tweet)
現在、あきばお?8號店の場所は、エックス外神田店でした。黄色を下地に派手な文字がアキバらしさを感じる。右側のクラウン無線は昔、駅前高架下のラジオセンターから移転してきた。 (2011年5月15日撮影)

No.0027 (2021年6月9日Tweet)
最近に閉店した、とらのあなB店。2011年1月のショーウィンドウ展示は、声優 水樹奈々氏・アニメ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「涼宮ハルヒの消失」の広告もありました。 (2011年1月1日撮影)

No.0028 (2021年6月10日Tweet)
ラジオガァデンには肉の万世の販売所。休憩しながらソフトクリームなどを食べることができました。右の日米無線電機商会は2018年に閉店しています。 (2011年4月24日撮影)

No.0029 (2021年6月11日Tweet)
カラオケアドアーズ が後に存在した場所。更地の様子を見ると、意外と狭い感じがする。撮影時間は23時37分…震災後で節電の風潮だったが、コロナ禍の方が街は暗くなるとは想像もできない未来だった。 (2011年4月24日撮影)

No.0030 (2021年6月12日Tweet)
現在は『野郎ラーメン』の場所。住居兼店舗という建物で、入口の幌には「東運電機」の文字が見えるが、以前は他の電気関連会社も入居していたようだ。 この頃は注視するような場所ではなかったが、現在は存在感あるポイントのひとつ。 (2011年1月30日撮影)